【学校の先生シリーズ】看護学校の志望動機を「でっかい字で短く書け」と直す高校教員—無能な高校教員はただの置き物にすぎない|看護師志望動機 学校志望動機

  • 2026/08/06
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学校の先生に添削を受けると幼稚園生の感想文になる

【学校の先生シリーズ】看護学校の志望動機を「でっかい字で短く書け」と直す高校教員——それでは幼稚園児の感想文になる

また、高校の先生による看護学校受験の「添削」を見せてもらった。

今回の助言は、志望動機の内容を深めるものではない。看護職を目指す理由を具体化するものでもなければ、本人の経験を看護へ結びつけるものでもない。指摘されたのは、ほぼ次のような内容だった。

字を大きく、見やすく書きなさい。
長すぎても読めない。
短くまとめなさい。

その結果、生徒は文章を削り、字を大きくし、内容を極端に薄くした。

そして、その短くなった文章を見た保健室の先生からは、

書き方が素晴らしい
細かく書けている
看護の視点が入っている

と評価されたという。

高校の先生が削らせた文章を、看護師資格・臨床経験・養護教諭免許を持つ保健室の先生が評価した。ここには、看護学校受験で起きている問題が非常に分かりやすく表れている。

高校教員の添削は、文章を「短くする」だけで、内容を「良くする」ものではない

最初に断っておくが、文章は長ければよいわけではない。

質問に答えず、自分の思い出を延々と書く文章は当然削る必要がある。一文が長く、主語と述語がねじれ、同じ内容を繰り返しているなら、簡潔に直さなければならない。

しかし、「簡潔に書く」と「内容を消す」は全く違う。

今回の高校教員の助言は、情報を整理する添削ではない。志望動機の中から不要な部分を見極めたうえで、核心を残したわけでもない。ただ文字数を減らし、字を大きく書かせただけである。

文章指導で最も簡単なのは、

長い
分かりにくい
もっと短く
大きな字で書きなさい

と言うことだ。

これなら看護を知らなくても言える。

本人が何を書いていても、内容を読まずに指摘できる。看護師志望でも、保育士志望でも、調理師志望でも、消防士志望でも同じことが言える。

しかし、それは看護学校の志望動機を添削したことにはならない。

ただ用紙の見た目を変えただけだ。

字の大きさで合否が決まるなら、誰も苦労しない

近くのものが見にくい老眼の高校の教員は、採用担当者や面接官が「小さい字を嫌う」「文章が長いと読んでくれない」と考えたのだろう。

もちろん、読めないほど小さい字、行間を埋め尽くした文章、欄外まではみ出した答案は避けるべきである。

しかし、普通に読める字をさらに巨大化させ、その分だけ内容を消すことに、何の受験戦略があるのか。

看護学校の願書は、書道作品ではない。

採点者は、

字が大きくて元気がある
余白が多くて見やすい
短いから負担なく読める

という理由で合格を出すわけではない。

見るのは、その受験生がなぜ看護師を目指すのか、看護という仕事をどのように理解しているのか、これまでの経験から何を学び、それをどのように看護へつなげようとしているのかである。

内容が薄ければ、いくら字が大きくても薄いままだ。

むしろ、与えられた記入欄に対して明らかに情報量が少なければ、

看護師志望の理由を十分に考えていない
自分の経験を言語化できていない
学校について調べていない
入学後の目標が曖昧である

と判断される。

志望動機欄があるのは、学校側がその分量の情報を求めているからだ。巨大な文字で半分を埋めるために用意された空間ではない。

高校教員が作りがちな志望動機は「憧れ+感謝+決意」

高校の先生が添削した看護師志望動機は、多くの場合、同じ構造になる。

幼い頃に看護師に優しくしてもらった。
その姿に憧れた。
私も患者さんに寄り添える看護師になりたい。
貴校で学び、夢を実現したい。

看護学校の志望動機としては0点だ。

なぜなら、これは看護師という専門職について書いた文章ではなく、「優しくしてくれた人への感想」だからである。

幼稚園児に、

病院で看護師さんに何をしてもらいましたか。

と聞けば、

優しくしてくれました。
安心しました。
私も優しい看護師さんになりたいです。

と答えるだろう。

高校3年生の志望動機が、そこから何も進んでいないのであれば大問題である。

看護師は、優しい人という職業ではない。

そのような仕事を目指す人が、

優しくしてもらったので、私も優しくしたい

だけでは、看護への理解が見えない。

「看護のことは分かりません」と言う人が、なぜ看護志望動機を直しているのか

画像のやり取りで、最も重大なのはここである。

高校教員は、

看護のことは分かりません
看護学校を受験したこともない
病院を受験したこともない

という状態だったという。

それにもかかわらず、看護学校の志望動機を修正している。

これは冷静に考えれば異常である。

自分が知らない分野の専門職志望動機について、何を基準に削ったのか。

看護学校の面接で何を問われるか分からない。願書と面接がどのようにつながるか分からない。看護師志望理由と学校志望理由の違いも分からない。実習経験をどの程度書くべきかも分からない。

その状態でできるのは、一般的な小学生レベルの作文添削だけである。

誤字を直す。

主語と述語を整える。

重複を削る。

読みやすい文章にする。

そこまでならよい。

しかし、本人の経験のどこを残し、何を削るのかという判断には、その経験が看護職の選抜でどのような意味を持つかを理解している必要がある。

知識がない人が「ここはいらない」と削った部分に、合否を分ける材料が含まれていることがある。

逆に、高校教員が「感動的でよい」と残した部分が、看護学校から見れば何の評価にもつながらない場合もある。

高校の教員採用と、看護学校の入学選抜は別物である

高校の先生が文章指導をテキトーにやっていることと、看護学校の志望動機を作れることは別である。

偏差値の低い低レベルの高校の教員は、国語の授業、進路指導、大学入試の小論文、面接指導などを経験しているかもしれない。しかし、看護学校の選抜は一般大学の推薦入試とは異なる。

看護学校では、単に人柄のよさや学習意欲を見るのではない。

入学後に解剖生理学、病態、看護技術を学び、臨地実習へ進み、患者の安全に関わる人材になれなきゃいけない。

面接では、本人のコミュニケーション能力だけでなく、質問への理解、考えの一貫性、他者との関係、ストレスへの対応、学習継続力、看護師という職業への理解などが確認される。
もちろんそれらは看護のプロから見れば驚くような内容にも仕上げることも可能だ。

願書は面接資料にもなるしアイキャッチにもなる。

志望動機に抽象的なことしか書いていなければ、面接でも抽象的な質問しか広がらない。経験を書いていても、本人が何を見て、どう考え、看護師の役割をどう理解したかがなければ、単なる出来事の紹介で終わる。

看護学校受験では、文章だけを美しくしても意味がない。

書類、面接、本人の経験、学校の教育方針を一体として考える必要がある。

保健室の先生が評価したのは、文章の見栄えではない

一方、保健室の先生は、受講生の文章を見て「書き方が素晴らしい」と評価したという。

重要なのは、その先生が看護師資格を持ち、臨床経験があり、さらに養護教諭免許を持っている点である。

看護を学んだ人は、文章の中に書かれた行動だけを見ていない。

受験生が何に気づいたのか。

患者や対象者のどのような変化を捉えたのか。

その経験から看護師の役割をどう理解したのか。さらには、どのような看護職の視点で書かれてあったのか(最重要)。

自分が将来どのような判断や援助をできるようになりたいのか。

こうした部分を見る。

看護を知らない人には、細かすぎるように見える記述が、看護職には重要な意味を持つことがある。

例えば、

患者さんが不安そうだったので、看護師が優しく声をかけていた。

だけなら感想である。

一般の高校教員には「細かい」「長い」と見えるかもしれない。しかし、看護職の採点者には、受験生が看護師の仕事をどのように捉えているかを判断する材料となる。

だからこそ、保健室の先生は評価したのだろう。

短くするべきなのは文章ではなく、無意味な幼稚園児レベルの内容である

看護学校の志望動機で削るべきなのは、専門的な内容ではない。

削るべきなのは、意味のない美辞麗句である。

例えば、

幼い頃から人の役に立つことが好きで、困っている人を助けたいと思っていました。

このような文章は、看護師でなくても使える。警察官、教員、介護福祉士、保育士、消防士、社会福祉士でも成立する。

貴校の充実した教育環境に魅力を感じました。

これも、学校名を入れ替えればどこにでも出せる。

患者さんに寄り添い、信頼される看護師になりたいです。

看護受験で毎年何千人も書く表現である。

このような中身のない文章を削り、本人固有の経験と、そこから得た看護への理解を残す。

これが添削である。

ところが、看護を知らない高校教員は逆をする。

専門的で具体的な内容を「長い」と削り、

優しい看護師になりたい
患者さんを笑顔にしたい
人の役に立ちたい

という、誰でも書ける部分を残す。

その結果、見た目だけは短くなり、中身は幼稚園児の感想文になる。

「高校生らしく書け」という言葉の危険性

高校教員からよく言われるのが、

高校生らしく、素直に書きなさい。

という言葉である。

この言葉自体が常に間違っているのだ。

「高校生らしさ」を理由に、看護職への理解まで幼くしてよいわけではない。

看護学校を受験する以上、看護師について調べ、実習や職業体験、身近な経験から考えを深める必要がある。それもただの感想文であってはならない。

高校生であっても、

看護師は優しい人です。

の段階から一歩進まなければならない。

看護学校が求めているのは、現時点ですでに臨床判断ができる高校生ではない。しかし、これから専門職を目指す者として、経験から学び、自分の言葉で考えようとする姿勢は求めている。それにそれを目指す人間であれば、30時間や50時間勉強しただけでそれなりの差になる。

なぜそれをやろうとしないのか?

「高校生なのだから幼くてよい」という指導は、本人の成長を止める。

学校の先生が義務的に通過儀礼の如くやることと、指導が正しいことは別である

毎度の恒例行事のように願書を読み、面接練習(笑)をし、進路相談などという時間潰しをやっている教員はいる。

しかし、一生懸命であることと、専門的に正しいことは別である。

看護を知らないなら、知らない範囲を自覚すべきだ。

文章の形式だけを確認し、内容については看護師や看護学校受験に詳しい人へつなぐ。それが適切な進路指導である。

知らないのに断定する。

内容を理解せず削る。

自分のFラン大学受験指導の感覚を、そのまま看護学校へ当てはめる。

その結果、生徒が不利になるなら、テキトー済ませてよい問題ではない。

受験生にとっては一度きりの入試である。

高校教員は翌年も同じ指導を続けられるが、生徒は不合格になれば進路そのものが変わる。

看護学校の願書は、国語の作文コンクールではない

看護学校の志望動機で重要なのは、文学的に美しい表現ではない。

感動的なエピソードでもない。

採点者が知りたい内容へ、本人の経験を使って答えているかである。

文章力は必要だが、それは目的ではなく手段である。

どれほど美しい文章でも、看護師を目指す理由が曖昧なら弱い。

どれほど感動的でも、看護師の役割が理解できていなければ浅い。

どれほど字が大きく見やすくても、本人にしか書けない内容がなければ評価されない。

高校教員が見ているのは「文章として読みやすいか」かもしれない。

しかし、看護学校の採点者は「この受験生を看護学生として入学させるか」を判断している。

評価の目的が違う。

看護学校受験では、誰に添削を頼むかで結果が変わる

志望動機は、誰が直しても同じ文章になるわけではない。

一般の国語教員が直せば、文法的に整った文章になるだろう。

企業の採用担当者が直せば、自己PRの強い文章になるかもしれない。

同じ経験でも、指導する人間によって残す部分がコロコロ変わる。

だから、低レベルの人間に任せて安心してはいけない。

「学校の先生だから入試に詳しい」という思い込みは大変危険である。

面接指導の経験があっても、それはただの時間潰しでなあなあにやっていただけだろう。
彼らは看護職の面接は全く理解していない。

国語を教えられても、看護師志望理由の中身は教えられない。

今回の高校教員の添削を酷評する理由

今回の添削は、誤字を直した程度の話ではない。

看護職として評価され得る具体的な内容を削り、字を大きくし、文章を短くさせた。その結果、本人の志望動機は薄くなった。

しかも、指導者自身が看護について分からないと認めている。

これは専門外の領域へ踏み込み、生徒の受験書類を劣化させる指導である。

厳しく言えば、

看護学校の志望動機を添削したのではない。

看護の内容を消し、幼稚園児でも書ける感想文へ戻しただけである。

一方、看護師資格と臨床経験を持つ保健室の先生は、受講生の文章に看護の視点が含まれていることに気づいて驚いた。

どちらの評価を信頼すべきかは明らかだろう。

もちろん、看護師であれば誰でも入試指導ができるわけではない。臨床経験があっても、願書や面接の選抜構造をまったく理解していないからだ。

受験生は「先生が言ったから」で思考を止めてはいけない

高校生にとって、学校の先生の言葉は強い。

進路指導室で断定的に言われれば、自分の文章が間違っていると思ってしまう。

しかし、先生にも専門分野がある。

数学教員が英文法の専門家とは限らない。

国語教員が看護師採用試験の専門家とは限らない。

進路指導担当者が助産師学校の面接を分析できるとは限らない。

「先生」という肩書きだけで、すべての受験に精通しているわけではない。

高校の先生の意見は、数ある助言の一つとして適当に流しておけばいい。

しかし、看護の専門性に関わる内容まで無条件に従う必要はない。

内容を削るよう言われたら、その部分は本当に不要なのかを考える。

なぜ削るのかを聞く。

面接で聞かれた場合に説明できる材料ではないかを確認する。

自分の進路である以上、最後は自分で判断しなければならない。

専門外であるにもかかわらず、看護学校入試を理解したかのように内容を削る指導を否定している。

進路指導に必要なのは、自信満々に添削することではない。

自分が分からない領域を認識し、適切な専門家へつなぐことだ。

受験生の人生がかかっている以上、「何となく短い方がいい」というレベルの添削で済ませてよいはずがない。

高校の先生に志望動機を見せた結果、文章が「人の役に立ちたい」「優しい看護師になりたい」「患者さんに寄り添いたい」だけになった人は、一度立ち止まった方がよい。

それは洗練されたのではない。

看護の中身を抜かれただけだ、と。

当スクールでは、学校の先生が直した願書も一から確認します

当スクールの願書対策は、誤字脱字を直して終わるゴミみたいな添削ではありません。

学校の先生が作った文章を前提に、表現だけを少し整えることもしません。

本人の経験、これまでの進路、看護師を目指した経緯、受験校の教育内容、願書の設問、面接で確認される可能性まで含め、完全にゼロからります!

そのため、学校の先生から「完成」と言われた願書は全てゼロからのスタートをします。

反対に、先生から削るよう言われた経験が、その受験生にとって重要な材料だったと判明することもあります。

ただし、誰にでも同じ言葉を足すわけではありません。

受験生ごとに経験も課題も異なり、学校ごとに選抜の特徴も異なるからです。

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