課題文型のクソ小論文を切る‼️都立看護 R6の課題文型より/都立看護専門学校 社会人入試 推薦入試 面接 説明会 オープンキャンパス

  • 2026/09/10
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課題文型のクソ小論文を切る!都立看護 R6年度より|240字要約から主語・述語、文と文、段落構成まで徹底解剖

都立看護専門学校R 6年度の課題文型より

みなさん、課題文型小論文に対してどのように論述していますか?

令和6年度の都立看護専門学校社会人入試は、上田紀行著『覚醒のネットワーク』から課題文が出され、著者が伝えたいことを240字程度で要約したうえで、下線部について経験を踏まえた自分の考えを述べる形式だった。要約を含めて1,200字程度である。令和7年度から社会人入試の小論文は課題文型からテーマ型へ変更されたため、令和6年度は旧形式最後の年度でもある。

この問題は最初の240字で筆者のいわんとすることを正確に拾わなければならないうえ、その後は下線部「本当の『出会い』はありません」という抽象度の高い表現について、自分の経験を使って論証しなければならない。

そして、こういう問題になると学校や予備校の添削が途端に怪しくなる。「筆者の考えをまとめられています」「自分の経験も具体的ですね」「最後を看護師につなげられていていいですね」。そんなチョンチョン添削で終わる。

今回は、そんな添削なら普通に通過してしまいそうな答案を作ってみた。。しかし、小論文の基礎ルールにしたがって主語・述語まで全部取ると、ボロボロである。この講義では、文章が「何となく読める」かどうかなど見ない。誰が何をするのか、なぜ次の文が続くのか、なぜ次の段落がそこにあるのかまで確認する。これが私の小論文指導の基準である。

まず、クソ答案を読んでみよう

筆者は、「殻をかぶった自我」では本当の出会いはなく、抜け駆けをして自分だけの幸せを追い求めると述べている。しかし、殻が破られることで生命的自己が現れ、つながりやネットワーク感覚が生まれる。そして、仲間が生き生きしている姿を見ることで自分自身も生き生きすることができ、仲間の幸せを自分のことのように喜ぶことで幸せは無限になる。つまり、自分だけの幸せを求めるのではなく、周囲とのつながりを大切にすることが必要であると筆者は考えている。私はこの考えに共感する。

私は下線部にある本当の出会いとは、相手を思いやり、信頼関係を築くことであると考える。私は会社員として働いていた時、同じ部署の後輩が営業成績を伸ばしており、自分だけが評価されていないように感じていた。そのため、後輩をライバルだと思い、自分が持っている顧客情報や仕事のやり方を積極的に共有することはなかった。しかし、ある日、チームで大きな案件を担当することになり、後輩が仕事の進め方に困っていたため声を掛けた。そこで、自分の資料を見せてあげることで、後輩も自分が持っている情報を教えてくれるようになった。その結果、二人で協力して仕事を進めることができ、案件も成功し、上司からも評価してもらった。それ以降はコミュニケーションを取るようになり、仕事だけでなくプライベートの話もするようになったため、本当の出会いができたと感じた。

この経験から、自分の殻を破るためには自分から相手に寄り添い、相手を理解することが大切であると考える。相手の立場を考えることで、信頼関係や協調性、責任感、思いやりを身につけることができる。また、自分だけの利益を考えるのではなく、相手の幸せを考えることも重要である。人と人とのつながりを大切にすることで、自分自身も成長することができるのである。

看護師も患者さんや家族、多職種とコミュニケーションを取る仕事である。看護師が自分の考えだけを押し付けていては、患者さんに寄り添うことはできない。そのため、相手の気持ちを考え、一人ひとりに合った看護を行う必要がある。私は看護学校に入学した後も人との出会いを大切にし、多くの人と関わることで成長していきたい。そして、患者さんに寄り添い、信頼関係を築ける看護師になりたいと考える。

はい、切る。

まず240字要約。初っ端から「要約」になっていない

最初の問題はここである。

「筆者は、『殻をかぶった自我』では本当の出会いはなく、抜け駆けをして自分だけの幸せを追い求めると述べている。しかし、殻が破られることで生命的自己が現れ、つながりやネットワーク感覚が生まれる。」

これを要約だと思っている受験生が非常に多い。

違う。

本文に書いてある特徴的な言葉を短く切って並べただけである。

「殻をかぶった自我」「抜け駆け」「生命的自己」「ネットワーク感覚」。

全部、

筆者独自の表現である

それを説明せずに拾って並べている。

これは要約ではない。

ただのパッチワークだ!盗用になってします!

うちの講義では要約では筆者の中心主張を正確に取り、その意味を説明することを重視している。本文の特殊な表現を切り貼りしただけでは、筆者が何を主張しているのかを理解できている証明にならない。

例えば「生命的自己」と書いたなら、それが何を意味するのか説明できているのか。このクソ答案にはない。「ネットワーク感覚」も同じである。

書き手は課題文を読んでいるから分かっている。

採点者も原文を持っているから分かっている。

だから説明しなくていい?

その発想がダメなのだ。

要約は、筆者の専門用語コレクションを作る作業ではない。

「そして、仲間が生き生きしている姿を見ることで……」も長いだけではなく、構造が重い

次の文を見る。

「そして、仲間が生き生きしている姿を見ることで自分自身も生き生きすることができ、仲間の幸せを自分のことのように喜ぶことで幸せは無限になる。」

一文が長いから即アウト、という単純な話ではない。うちの指導基準では文字数だけで文の良否を決めず、内部のS・V、因果、並列関係を追えるかを見ている。

この文を分解すると、「仲間が生き生きしている」「自分自身も生き生きする」「仲間の幸せを喜ぶ」「幸せは無限になる」と、複数の内容が詰め込まれている。

しかも「見ることで」「喜ぶことで」と同じ構文を一文の中で二度使っている。

❌「~することで」の連打

❌「生き生き」の近接反復

❌原因と結果を一文へ詰め込みすぎ

文章を長く書けることと、論理的に書けることは別である。

要約の最後に「私はこの考えに共感する」

設問はまず「著者が伝えたいことを240字程度に要約」しろと言っている。

そこに、

「私はこの考えに共感する。」

❌自分登場。

要約で君の感想は聞いていない。

しかも「共感」という言葉まで出ている。何にどう共感したのか説明もない。

要約は筆者の主張である。

自分の意見はその後で書く。

混ぜるな。

プロジェクトの課題文型ルールでも、要約には自分の賛否を入れないことを明確にしている。

ここを学校の先生が「最後に自分の考えも入っていていいですね」などと添削していたら、その時点で終了である。

意見部分の一文目。「本当の出会い」を勝手に定義する

「私は下線部にある本当の出会いとは、相手を思いやり、信頼関係を築くことであると考える。」

❌「考える」。

考えた<内容>を書け。

そして、もっと重大なのが、

「本当の出会い=思いやり+信頼関係」

どこから出てきた。

課題文の筆者は、単に「人に優しくしましょう」「仲良くなって信頼関係を築きましょう」という話をしているのではない。

自分だけの利益や幸せを追い求め、他者を競争相手や利用する対象として見る閉じた状態と、他者とのつながりを認識する開かれた状態を対比している。

それを、

「本当の出会いとは信頼関係である」

と一気に縮めた。

❌課題文の論旨を薄めている。

❌「信頼関係」という別の抽象語に逃げている。

❌下線部について論じているようで、実際には自分の好きなテーマへ交換している。

ここは大幅に切る。

次の経験自体は使える。しかし、書き方がダメ

「私は会社員として働いていた時、同じ部署の後輩が営業成績を伸ばしており、自分だけが評価されていないように感じていた。そのため、後輩をライバルだと思い、自分が持っている顧客情報や仕事のやり方を積極的に共有することはなかった。」

自分の利益や評価を優先し、相手を競争相手として見ていた経験だから、課題文との接続材料にはなる。

しかし文章を見ると、

❌「感じていた」

❌「思い」

また心の中の動作を書いている。

さらに「自分」が近距離で二回。「自分だけが評価されていない」「自分が持っている」。

同じ表現を続けるな!

そして、ここで最も必要なのは「ライバルだと思った」という感想ではなく、その認識によって実際に何をしたのかである。

後半の「情報を共有しなかった」は使える。

こちらが事実だ。

「資料を見せてあげることで、後輩も……教えてくれるようになった」

これは基礎ルールの教材として最高のクソ文である。

「そこで、自分の資料を見せてあげることで、後輩も自分が持っている情報を教えてくれるようになった。」

まず、

❌「見せてあげる」

授受表現

❌「教えてくれる」

授受表現

一文に二つ

さらに「~することで」が出た。うちの講義では、この表現が出たら必ず誰が行為をし、何が結果として生じるのか確認している。

骨格を取る。

前半は【私は】資料を見せる。

後半は<後輩が>情報を教える。

一文の途中で主体が変わっている。

「私は」から「後輩」へ飛んでいる。

読めば分かる?

受験の小論文で「読めば分かるからOK」という基準は使わない。

主体が変わったなら明示しろ

しかも「自分の資料」「後輩も自分が持っている情報」と、「自分」が誰を指しているのかまで危険になる。最初の「自分」は書き手、次の「自分」は後輩を指しているようにも読める。

一文の中で「自分」の指示対象まで変えるな。

「その結果」の後がさらに酷い

「その結果、二人で協力して仕事を進めることができ、案件も成功し、上司からも評価してもらった」

この一文を主語と述語に分ける

「二人で協力して仕事を進めることができた」の主体は私と後輩

「案件も成功した」の主語は案件

「上司から評価してもらった」の主体は私なのか、後輩なのか、二人なのか

三つ目は不明

一文の中で主体が次々に変わっている

しかも、

❌「案件も」

何に対する「も」だ

❌「上司からも」

また「も」

受験生は「も」をリズムで書く

助詞は音楽ではない

意味がある

そして、

❌「評価してもらった」。

また授受表現がきた

さらに、「案件が成功した」とは何を意味するのか。契約成立か、売上目標達成か、納期内完了か。何も分からない。

抽象的な「成功」で逃げている

「本当の出会いができたと感じた」

「それ以降はコミュニケーションを取るようになり、仕事だけでなくプライベートの話もするようになったため、本当の出会いができたと感じた。」

これもひどい

❌「コミュニケーション」。

万能語登場

何をしたのか書きなさい。

❌「プライベートの話も」

仕事以外の話をしたから「本当の出会い」なのか。課題文を完全に読み違えている。

筆者のいう「本当の出会い」を、

「仲良くなって私生活の話をする関係」

くらいに落としている。

そして、

❌「本当の出会いができた」

「出会いができる」という語の組み合わせも弱い。

最後に、

❌「感じた」

またただの感想

ここまでの経験で示すべきなのは、「以前は相手を競争相手として見て情報を閉ざしていたが、協力する過程で相手を利益競争の対象だけとして見なくなった」という変化である。

ところが、クソ答案は「プライベートの話もするようになったから本当の出会い」と書く。

筆者の論旨を読めていない。

「寄り添う」が出た。都立看護受験生が大好きな用語

「この経験から、自分の殻を破るためには自分から相手に寄り添い、相手を理解することが大切であると考える」

また「自分」

一文で二回

さらに、

❌「寄り添う」

何をすることだ。

❌「相手を理解する」

人間一人を丸ごと理解できるのか

何を理解するんだ

❌「大切であると考える」

「大切」「考える」のセット

中身ゼロ

課題文が抽象的だからといって、自分の文章まで抽象語だらけにしてよいわけではない。

「寄り添う」「理解する」「大切」

三つ並べているが、具体的行動は一つもない。

次は名詞のゴミ箱

「相手の立場を考えることで、信頼関係や協調性、責任感、思いやりを身につけることができる。」

出ました

信頼関係、協調性、責任感、思いやり

四つ。

名詞を四つ並べるな

しかも次元が違う。

「信頼関係」は人と人との関係。

「協調性」「責任感」「思いやり」は人に備わる性質・態度。

同じ箱に放り込むな。

さらに「相手の立場を考えることで」。

何を考えるのか。

「~することで」もまた登場。

最後は「身につけることができる」。

こと、できる。

文章がどんどん重くなる。

これを学校の先生が見て「信頼関係や責任感など、看護にも必要な要素が入っていますね」なんて言ったら地獄である。

「である」「大切である」「重要である」の連打も見る

続く文章は、

「相手を理解することが大切である」

「相手の幸せを考えることも重要である」

「人と人とのつながりを大切にすることで……」

また「大切」。

また「重要」。

内容を説明できない人ほど、「大切」「重要」「必要」を使う。

これらは評価語であって中身ではない。

教科書でも「適切」「必要」「重要」を連打せず、何をするのか具体化することをルール化している。

さらに「である調に統一する」という意味を、「である」を何回使ってもいいと勘違いしてはいけない。

「重要である。必要である。大切である。」

文体は統一されている。

文章表現は死んでいる。

同じ文末・同じ構文の近接反復も基礎ルールで見る。

そして突然、看護師になる

「看護師も患者さんや家族、多職種とコミュニケーションを取る仕事である。」

出た。

都立看護を受けるから、最後は看護へつなげなければならない病。

誰がそんな指示をした。

設問は「看護師について述べなさい」ではない。

下線部について、経験を踏まえて自分の考えを書けと言っている。

つまり、最後まで「本当の出会い」について論じればよい。

なのに、

患者。

家族。

多職種。

コミュニケーション。

看護。

新しい論点を大量投入。

❌段落が前段落を受けていない。

❌結論へ向けて論点を収束させるどころか、また広げている。

さらに、

❌「患者さん」。

敬称はいらない。

「患者さんに寄り添うことはできない」

また寄り添う。

「看護師が自分の考えだけを押し付けていては、患者さんに寄り添うことはできない。」

何をもって「寄り添えた」と判定するのか。

分からない。

しかも、課題文の「殻をかぶった自我」を「自分の意見を押し付ける看護師」に勝手に変換している。

論理が飛んでいる。

課題文に書かれていない看護観を後からくっつけるな。

「相手の気持ちを考え、一人ひとりに合った看護」

看護受験のクソ答案で腐るほど見る表現である。

「そのため、相手の気持ちを考え、一人ひとりに合った看護を行う必要がある。」

❌相手の気持ち。

何だ。

❌考える。

また使った。

❌一人ひとりに合った看護。

何を何に合わせる。

年齢なのか、疾患か、それとも症状か?

生活背景なのか、価値観か?

本人の希望なのか?

全く何も書いていない。

「一人ひとりに合った」は看護っぽく見える魔法の言葉ではない。

説明できないなら書くな。

最後は完全に志望動機

「私は看護学校に入学した後も人との出会いを大切にし、多くの人と関わることで成長していきたい。そして、患者さんに寄り添い、信頼関係を築ける看護師になりたいと考える。」

はい終了。

設問はどこへ行った???

下線部についての考えを書いていたはずだ。

最後は、

入学後の抱負、看護師像、そして志望動機。

全部別問題だ!

そして最後の最後まで、

❌「寄り添い」

❌「信頼関係」

❌「考える」

一番使い古した抽象語で終了

結論で新しい話を始めるな。本文で論じたことを回収しなさい。

これは小論文の基礎中の基礎である。

この答案は、文章全体の設計から崩壊している

細かい日本語だけではない。1200字全体を見るともっとひどい

最初は筆者の要約だった。それが自分の「共感」に変わり、会社の後輩との競争、営業成績、情報共有、プライベートの話、寄り添う、信頼関係、協調性、責任感、思いやりへ拡散し、最後には患者、家族、多職種、看護師像へ飛ぶ。

何を論じたいんだ?

全部書けば内容が深くなると思うな。

逆である。

論点が増えるほど、一つ一つが薄くなる。

このProjectでは、段落ごとの役割を一つにし、文章全体では設問へ一貫して答えることを最上位に置いている。

この課題文型の場合、まず240字程度で筆者の中心主張を処理する。その後は下線部についての自分の立場を明確にし、経験によってその立場を証明し、最後に下線部への答えを回収する。それだけでよい。

看護師を出す必要はない。

多職種連携もいらない。志望動機じゃないんだから(いや志望動機にせよ幼稚園生レベル)患者に寄り添わなくていい。

「都立看護だから看護の話を書かなければ」と考える受験生ほど、設問から自分で逃げていく

主語・述語だけを取っても、この答案はかなり危険

特に次の二文は、受験生が本当に書く

「自分の資料を見せてあげることで、後輩も自分が持っている情報を教えてくれるようになった」

「その結果、二人で協力して仕事を進めることができ、案件も成功し、上司からも評価してもらった」

第一文は【私は】資料を見せる、<後輩が>情報を教えるという二つの主体が一文の途中で切り替わる。しかも「自分」の指示対象まで揺れる。

第二文は<私と後輩が>仕事を進める、<案件が>成功する、【私たちが】評価される、と主体が三回変わる。

これを、「意味は通じますから大丈夫です」と言う講師がいる。全然大丈夫じゃない‼️

主語・述語の講義では、複文そのものを禁止しているわけではない。一文の内部に複数のS・Vがあるなら、全部対応していることを確認する。主体が説明なく飛ぶなら分ける。

これが基礎である。

主語を全部書けばいいという話でもない

逆に、

「私は後輩に声を掛けた。私は資料を見せた。私は情報を共有した。私は後輩と協力した」

とすればいいのか。

それもクソ文章である。

主語は明確になった。

しかし「私は」の連打

それじゃ日記だ。

うちの講義では同一主語なら二文目、三文目程度まで省略でき、四文目も同一主語なら主語を一度復活させることを実践上の目安としている。ただし、四文以上ずっと同じ主語が続くなら、「主語を戻せば解決」ではなく、そもそも同じ人物の行動を羅列しすぎていないか構成から見直す。ここまで見る。

これが小論文添削である。

学校の先生が見る「内容」と、実力のある本物のプロである私が見る「文章」は違う

この答案を学校へ持っていけば、

「会社での経験が具体的ですね」

「最初は後輩をライバルと思っていたけれど、協力できるようになった変化が書けています」

「看護師にもつながっています」

こんな幼稚園児を相手にする赤ペンが返ってきても不思議ではない。

しかし、その前に見るものが山ほどある。

要約と自分の意見を混ぜていないか。本文の特殊な表現を切り貼りしていないか。筆者の論旨を別の抽象語へ勝手に置き換えていないか。一文のS・Vは対応しているか。省略主語を補ったとき一人に決まるか。一文の途中で主体が飛んでいないか。「~することで」の前後で主体が変わっていないか。「も」を意味なく付けていないか。同じ言葉を近距離で繰り返していないか。接続詞と実際の論理関係は一致しているか。具体例は本当に自分の主張を証明しているか。最後まで下線部について答えているか。

全部見る。

これらを確認して初めて「内容」の話になる。

R6年度は、要約ができない人を最初の240字で一発で落とせる問題だった

課題文型というのは自分の経験だけを上手に書けばよい課題文型ではない。

最初に課題文を正確に読めなければ、その後の960字程度が全部崩れる。筆者の主張を読み違えれば、自分の経験もズレる。

下線部の意味を「信頼関係」「思いやり」「コミュニケーション」程度に勝手に置き換えれば、その後は全部別のテーマになる。だから、課題文型では最初の読み取りが命である。

この問題で求められているのは、課題文から看護っぽいキーワードを探すことではない。

筆者が何を言っているのかを正確に読み、それに対して自分の経験を使い、自分の主張を論理的に証明すること。

そして、その文章の一文一文について、誰が何をするのかが明確でなければならない。

文と文はつながっていなければならない。当然、段落と段落もつながっている必要がある。最後は最初の問いへ戻る。

これが受験の小論文である。

そこらへんの「内容はいいですね」で終わるチョンチョン添削とは、見ている場所そのものが違う。